マハポに見る昔のコンピュータ

 

20年前の昔話

2015年も終ろうとしている。この20年間のIT技術の進歩はすさまじかった。世の中があまりにも早くドラスティックに変わったので、その変化を体験していたはずの私が携帯やネットが昭和時代からあったものと錯覚するほどである。

80年代から秋葉原に出入りしているので、その頃手に入れた遺物がまだ手元に残っていたりする。今回はこのチラシを元に昔話をしてみよう。ガジェットはこのチラシである。1995年頃のものだ。

 

チラシ表面

 

チラシ裏面

 

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マハポとは?

正式な社名は「マハーポーシャ」、PCマニア達は略してマハポと呼んだ。あのオウム真理教が展開していたパソコン・PCパーツショップであり、1995年3月の地下鉄サリン事件の後に消滅した。ちょうどその年の末にWindows95が日本で発売され世の中はIT社会へと加速していった。古いPCマニアにとっては懐かしい名前である。

マハポのPCはものすごく安い。上のチラシで、たとえばM5P-100Kという機種はメーカー希望小売価格¥304,000、価格¥178,888円とある。マハポは製造直販なのでそもそも「メーカー希望小売価格」という言葉の意味が不明だが、要するに「大手メーカー品ならこれぐらいしますよ」ということだと受け取ればよい。実際当時このスペックのPCなら30万円ぐらいしてもおかしくはなかった。

マハポのPCはオウム真理教の信者が修行として組み立てを行っていたので製造費がとても安くついた。上のチラシは今のコトブキヤ秋葉館前あたりでマハポ店員(もちろん信者)が声をからして「マハーポーシャ」と叫びながら配っていた。パソコンの形をした妙な帽子をかぶって。何しろ修行の一環なので、勤務に対する情熱は目を見張るばかりであった。

マハポのPCを買えば信者が家まで勧誘に来るとか、起動させれば麻原尊師の歌が流れるとか、そんなネタに事欠かないPC会社であった。パソコン帽のビラ配りがいたあの場所は20年後の今ではメイドさんが大勢立っている。

1995年以前に組み立てパソコンの事業を始めたというのは慧眼と言ってよい。ゲートウェイが日本進出したのが1995年、デルが日本で本格的に活動を始めたのもその少し前である。背景がオウム真理教でなければ結構長く続いたのかもしれない。フロンティア神代ぐらいには。

 

当時のハードウエア

マハポの話はこれぐらいにして、当時のPCハードウエアをチラシから読み解いてみよう。M5P-100Kを例にとる。

CPU:Pentium-100

今はPentiumという名前はインテルCoreシリーズの下位ブランドとして使われているが、当時はインテルの最先端CPUを表す誇らしいものだった。100というのは動作クロックが100MHzであることを示している。この当時CPUの最高動作クロックは133MHz程度で、200MHzは到達できない値だと論じられていた。現在では数GHzなので限界を数十倍打ち破ったことになる。ちなみに私が自作を始めたのはPentium以前の486プロセッサからである。

BUS:PCIx3,ISAx4

今の子には全く理解できない。バス(BUS)というのはマザーボード上にある拡張カードを挿すためのあれであるが、PCIバスというのはPCI Expressのことではない。全く別の旧規格であり最近のマザーボードにはまず搭載されていない。ISAバスに至っては更に旧規格で若い子は見たこともないだろう。私はISA接続のビデオカードを扱ったことがあるというのが密かな自慢だったりする。

何でこんなに沢山バスがあるかと言えば、当時のマザーボードにはビデオやサウンド機能すら載っておらず全て拡張カードとして挿す必要があったためである。バスが沢山あるということが高機能であるということだったので、高性能パソコンのマザーボードは大きく、当然筐体も巨大であった。今のマザーボードはビデオやサウンド機能どころかLANや無線LAN機能まで載っている。もちろんUSB機能も載っており、多くの機器はUSBケーブルで外付けすれば良いのだから、バスの数はさほど重要ではなくなった。

参考までに、この当時USBはまだない。USBが2.0になり普及し始めたのは21世紀になってから。外部機器はシリアルポートパラレルポート、速度が必要な場合はSCSI(ああ懐かしい)でつないでいたのだが、今では高速・万能なUSBにほぼ統一されてしまった。

RAM:16MB

私が今使っているパソコンはメモリ(RAM)が16GB搭載されている。このチラシの16MBというのはもちろん16GBの書き間違いではない。要するにPCのメモリ容量はこの20年間で1,000倍ほどになったのである。桁違いにもほどがある。

この当時のメモリはSIMMと呼ばれた規格だった。ペンティアムマザーボードで使う場合、同一種類・同一容量のものを2枚ペアで挿すというルールがあった。M5P-100Kの場合8MBのSIMMが2枚挿してあることになる。SIMMというのはまずソケットに斜めに挿して、次に引き起こして固定爪に引っ掛ける。これを狂おしいほど懐かしく感じる人はほぼ50歳以上である。

チラシ裏のSIMMメモリ価格をご覧いただきたい。8MB品は3万円ほどなので、2枚で6万円ほど。これは激安マハポ価格なので、普通の店で買えば10万円近くしただろう。今のメモリ(DDR4)価格は8GB2枚で1万円ほどなので、容量1,000倍、価格1/10となったのだ。

私が初めて個人用に買ったパソコン(OSはWindows3.1、CPUは486DX2)は搭載メモリ量は8MB.4MBがオンボードで、4MBがソケットに挿してあった。メモリ2桁(10MB超え)は憧れだった。

FDD:3MODE

今の若い子にはFDDがフロッピーディスクドライブであることから説明しなければならない。3MODEというのは「NECフォーマットのディスクも読めるよ」ということなのだが、現代の実生活からあまりにもかけ離れた話題なのでこれ以上説明しない。

ここでまた密かな自慢。私は学生時代8インチのフロッピーディスクを使っていました。NECのオフコン(死語)で。

HDD:1.2MB

さすがにこれは1.2GBの書き間違い。1.2GBのハードディスクは当時の最大容量で、値段は何万円もした。今は2TBのものが数千円なので、これも容量1,000倍、価格1/10である。

VGA:PCI DRAM 2M

VGAとはビデオ出力用のビデオカードのこと。これが無ければパソコンから画が出ない。PCIはPCIバスに挿しますよということ。DRAM 2Mというのは画像表示用のメモリがビデオカード上に2MB搭載されていますよということだ。今時のビデオカードは2GBほどのメモリが載っているので、これも1,000倍になったということになる。

CASE:標準ディスクトップ

これは「デスクトップ」の可愛らしい間違いである。

KEYBOARD:106JP

パソコンにキーボードが付いているのは当たり前なのだが、当時は高いものだったのでわざわざ「106日本語キーボード付き」とカタログに書いてあった。なおこの当時USBはないので当然USB接続ではない。「ではPS2接続なの?」と言う方、まだ甘いです。この当時のマザーボードはまだATXでなくAT。おそらくDINコネクタ接続でしょう。

マウスの記載が無いので別売りだったようだ。このころマウスは高価だったので標準で付いていなかったのだ。接続はシリアルポート、もちろん光学マウスなどないのでボールマウスである。

CD-ROM: X4 ATAPI

CD-ROMドライブがパソコンに付いていてそれで音楽を聴くというのが当時最先端のナウいハイテクライフだった。ちなみに当時のアプリケーションはCD-ROMではなくフロッピーディスクで供給されるものが主流だった。OS(Windows)ですら十数枚組のフロッピーディスク版とCD-ROM版が併売されていた。

この当時DVDはまだない。CD-Rは存在したがまだまだ特殊な存在、パソコン用の一般部品となったのは20世紀末頃だ。よってこのCD-ROMドライブはCD(CD-ROM)を読み込むだけの「ピュアな」CD-ROMドライブである。

X4というのは4倍速読み込みということ。CDの容量は700MB程度。音楽CDの場合約1時間分収録できる。700MBを1時間で読み取ることを「等倍」と言った。0.2MB/sといったところだ。この当時4倍速読み込みのCD-ROMドライブは最先端のPCパーツだった。

ATAPIというのはドライブとマザーボードを接続する規格。昔のパソコンの中を見ると幅広のリボンのようなものがうねっているが、あれである。今はシリアルATAという規格に置き換わったが、実は信号規格としてはATAPIの多くの部分を引き継いでいたりする。まっとうな先祖である。

さて、この当時のCD-ROMドライブにはATAPI接続用のコネクタの他にアナログオーディオケーブル接続用コネクタが存在した。今の子にはさっぱりわからない存在だ。CDに記録された音楽はデジタルデータなので、それをパソコンが読みだしてアナログ信号に変換してアンプ(スピーカ)に送るのが当たり前の流れである。ところが当時のパソコンは今では考えられないほど非力だったので、この処理が追い付かず音が途切れるおそれが多分にあった。だからドライブ側にCDの音楽をアナログ信号に変換する回路が設けられていたのだ。簡単に言えばCD-ROMドライブがそれ自体でCDプレーヤだったのである。だから音の良いCD-ROMドライブというものが存在した。私の経験ではパナソニックのドライブが総じて良い音を出していた。

今の光学ドライブにアナログオーディオ出力などないし、マザーボード側にもそんなものを繋ぐコネクタはないので完全に廃れた規格である。それどころかCDなんか使ったことがないという子も多数。音楽なんてネット経由で聴けば良いわけだから。

SB: SOUND BLASTER16

繰り返すが当時のマザーボードにはサウンド機能すら載っておらず音を出すにはサウンドボード(SB)を拡張カードとして挿す必要があった。SOUND BLASTER16はその定番中の定番であった。この時代ではISAバス接続だったのではないかと思われる。

SOUND BLASTERブランドのサウンドボードは現在でも存在するが、ほとんどのマザーボードにサウンド機能が載っているのでもはや特殊用途扱いである。

 

パーツ価格は裏面を

チラシ裏面で当時のPCパーツ価格をお楽しみください。繰り返しますがこれはマハポ価格なので、常識的な価格はこの倍近いと考えてください。

HDDのメーカー名がツボ。WD以外はすべてなくなってしまった。当時、WDが一番早く無くなると思っていたのだが、全く予想はずれでした。

Quantum ・・・・ MaxtorにHDD事業を譲渡
Maxtor ・・・・ Seagateと合併
Conner ・・・・ Seagateと合併

 

20年で一番変わったもの

私にとってこの20年間で一番変わったのはPCのハードウエアでなく皆がPCというハードウエアに興味を持たなくなったことだ。無線でフルHDの動画が楽しめるタブレットが数万円で手に入るこの時代に「ボクのPC、すごいんだよ」なんて言ったら煙たがられるだけである。(そんな人は知っているが。)PC自作の必要性は低下し、秋葉原のPC部品屋はメイドさんの店にどんどん置き代わっていった。

古びた雑居ビルの狭い階段を上ると山積みになったパーツの向こうに不審者然とした店主、そんな光景はもう夢の中にしかない。

 

 

 

 

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